2006年2月15日(水)@環境パートナーシップオフィス エポ会議室
市民ZOOネットワーク2月のセミナーでは4回目を迎えたエンリッチメント大賞「エンリッチメント大賞2005」の発表会が行われました。
まずスタッフの大橋民恵さんより評価の対象となった受賞のポイントについて説明がありました。飼育担当者部門大賞を受賞したのは東京都多摩動物公園の職員、福田愛子さんで、それまでの同園の飼育記録や他園での情報、先輩、同僚、来園者など多方面から情報を収集・分析を行い、絶滅が危惧されるユキヒョウの2組のダブル繁殖に繋げた点が評価されました。飼育施設部門大賞を受賞した東京都多摩動物公園の「オランウータン舎(スカイウォークや飛び地)」は、雑木林という従来あったものを生かした点、今後の国内オランウータン舎が建設される際の指標となり得るなど影響の大きさが評価されました。来園者施設部門大賞を受賞した千葉市動物公園の「観察シート」は、子ども達に動物自体をじっくり観察させようとする姿勢が評価されました。そして今回の特別賞には今後の展示に影響を与えるような新しいアイディアを創出した東京都恩賜上野動物園の「カナダヤマアラシ・ナマケモノの展示の工夫」が選ばれました。動物の習性を熟知した上での発想とエンリッチメント効果と展
示が融合した「オープン展示」という新たな展示方法が注目されました。次回のエンリッチメント大賞の募集は4月以降から開始しますというアナウンスの後、当日出席されていた、多摩動物公園でオランウータン・ユキヒョウの飼育を担当する黒鳥英俊さん、松井由希子さん、福田愛子さん、清水美香さんら南園二班の皆さんへエンリッチメント大賞の盾の贈呈が行われました!
続いて、飼育担当者部門大賞を受賞された福田愛子さんから「ユキヒョウの繁殖と血統管理」というテーマで動物園における繁殖についてのお話がありました。この日、会場には熱いユキヒョウファンのみなさんも駆けつけており、ぐっと期待感が高まります。中央アジアの山岳地帯に住むユキヒョウは絶滅の危機に瀕しており、動物園での繁殖に大きな期待が寄せられています。現在世界で飼育されているユキヒョウは約600頭、国内で飼育されているのは26頭、そのうち10頭が東京都多摩動物公園で飼育されています。中でもカザフスタンからやってきたシンギズは野生由来のオスで、世界で飼育されているユキヒョウが登録される国際血統登録書では繁殖優先順位第一位を占めている程に大変稀少な血統を持つ個体です。しかしシンギズは高齢を迎えつつあり、その繁殖を急ぐ必要がありました…。2004年から多摩動物公園でユキヒョウ飼育担当となった福田さんにとって、このシンギズと2003年に生まれたシンギズの子供マイの繁殖相手を探すことが最初の大きな課題となったそうです。福田さんはSPARKSというISIS(国際種登録機構)の血統管理ソフトを使って、年齢や血統を考えながら、国内で2頭の相手を探し、結果、動物園間で繁殖を目的に個体を交換するブリーディングローンによってマイは群馬サファリパークへお嫁に行き、一方で多摩動物公園には2頭のメス、群馬サファリパークからシリー、名古屋市東山動物園からユキが新しく来園しました。
繁殖にはただ個体同士をひきあわせるだけでなく、非繁殖期も含めた繁殖までの流れも重要となるそうです。ユキヒョウの繁殖期は冬から春にかけて。しかし本来野生下では互いに重複する縄張りの中で、匂い付けでやりとりをしながらも、基本的に繁殖シーズン以外は単独生活を送ります。非繁殖期からあらかじめオスとメスを同居させる手法をとる園もあるそうですが、それではシンギズとペアリングするメスが限られてしまうと考えた福田さんは、非繁殖期にはあえて別居飼育を行う手法を採用、放飼場を度々交換し匂いを嗅ぎあわせることで繁殖期へ向け気持ちが徐々に高まるよう工夫をしたそうです。さらにペアリングの組み合わせには血統管理ソフトSPARKSが再び登場します。近親交配の程度を表す指標「近郊係数」と併せて、繁殖に関与した野生由来の個体の血縁がどれほど今生存している個体群に占めているかを示す「創始個体の血縁占有度」や「遺伝的多様性」など、一般には聞き慣れないそれぞれの単語についてわかりやすく教えていただきました。なかなか知る機会のない動物園での繁殖への取り組み、ソフトを駆使した現在の血統管理の手法に、会場からはため息のような感心の声が聞かれた程です。また優先度の高い血統の繁殖だけでなく、同時に血統の偏りや年齢別個体数の分布を考えた繁殖制限も大切、という福田さんのお話に改めて動物園は「種の保存」の役割も担っていることを強く認識させられました。
続いてお話は見合い、同居、交尾そして出産までの道程の様々な工夫について展開してゆきます。エンリッチメントを導入し繁殖実績が上がったという話を聞き、飼育下では狩猟をする機会が少ないことから、漁業用ブイを使った遊具や、獲物に見立てた段ボールなどを放飼場に積極的に取り入れて擬似的に狩猟行動を引き出しました。野生の状態に近い行動の発現を促すことで心身共に健康なバランスをとることが出来る、健康で安全なエンリッチメントという印象を受けました。母体に対しては、妊娠時には栄養面から餌にカルシウムを添加し、来園したばかりの個体には妊娠・出産・育児の中で飼育者の存在がストレスとならないよう予め馴致しておくなど細かな配慮がなされました。
こうして忙しく限られた時間の中での作業の合間を縫った行動観察、そして実績のある他園での飼育手法や研究論文の読解、10年分の飼育日誌や前担当者の観察記録の分析、同僚や先輩、さらには熱心なリピーター来園者からのこまめな情報収集を行い、福田さんの繁殖に向けた毎日の積み重ねが実を結び、2005年度には多摩動物公園で生まれ育ったマユと新たに来園したユキからそれぞれオス2頭、メス2頭オス1頭の合計5頭の子どもが生まれました。子ども達は定期的な体重測定や予防接種や経て元気に成長しており、現在はユキヒョウ舎を縦横無尽に駆け回る姿が毎日来園者の人気を集めています。体重測定時には子どもに人間の匂いを付けないよう、まず手袋に母親の尿をまぶし、戻す時も尿の上をごろごろ転がす、というお話には思わず笑ってしまいました。また使われたパワーポイントの随所に載せられた生き生きとした表情の写真や映像、鳴き声、かわいいイラストは聞く人達を大いに和ませてくれました。
今回のセミナーでお話を聞いて、毎日生き生きとした生活を送る動物園の動物たちの姿の陰には地道な動物園職員の方々の不断の努力の積み重ねと熱意があり、また同時に来園者の理解もあってこそ動物園はその役割を社会の中で発揮してゆくのだなぁと改めて痛感しました。質疑応答では、これから実施してみたいエンリッチメントは?といったものから、こういった飼育以外の作業にプライベートの時間を費やさざるを得ない飼育担当者の労働環境まで、幅広い質問が寄せられました。
ユキヒョウの生息数の減少は毛皮目的の密猟や、その生息地に人間が家畜放牧で進出した結果、獲物となる野生動物が減り、家畜を捕食するために害獣扱いされるようになったなど、私たち人間の活動と大きく関わっています。また高山という生息域は国境地帯と重なる事も多く、政情不安定から国際的に連携した保護が遅れ、野生下での研究も決して多くはありません。そのためにユキヒョウの生息数の回復には地域の経済的問題も含めて解決しなければならない課題が数多くあります。それでもいつの日かユキヒョウと人間とが循環する環境の中で共存出来るようになる日に向け、動物園ならではの情報発信や研究成果の蓄積など、これからさらなる期待が高まった日でした。
(山崎彩夏 市民ZOOサポーター/東京農工大学 共生持続社会学専攻 比較心理学研究室 修士課程1年)